モスクワ案内書
ロシアの首都モスクワは、1147年ユーリー・ドルゴルスキー公によってモスクワ河畔に木造の砦が建設されたのが歴史の始まりです。13世紀後半にはモンゴルの支配下となり、その後2世紀ものあいだその状態が続きました(歴史上「タタールのくびき」という)1713年にピョートル大帝によってサンクトペテルブルグに遷都するまでロシアの中心でした。1971年のロシア革命以後、モスクワは再び首都となり現在に至ります。長い歴史を持つモスクワには、歴史的建造物、博物館、美術館があり、1年中観光客でにぎわっています。
■ クレムリン
クレムリンとは「城塞」という意味で、1156年にユーリー・ドルゴルーキー公によって造られた木造の砦が、現在のような赤煉瓦づくりになったのは15世紀になってからのことです。冷戦時代には全世界の社会主義国の中心的シンボルであり、アメリカのホワイトハウスとともに世界の政治の中枢でした。旧ソ連の崩壊後も、ロシアの政治の中枢であり、ロシアの歴史と文化の粋が集まった場所でもあります。クレムリンは、その名の通り周囲をぐるりと城壁で囲まれており、その長さは2,235mにもなります。城壁には20の望楼(高さ80mのトロイツカヤ塔、17世紀に時計が取り付けられ、現在公用の入り口となっているスパスカヤ塔など)があり、城壁内には歴史的建造物が立ち並びます。
クレムリン大会宮殿
アルミニウムと大理石で造られ、かつてはソ連共産党大会や中央委員会総会に用いられ、現在では、国際会議やボリショイ第二劇場としても用いられています。
宮殿兵器庫
内部は一般公開されていませんが、兵器庫の広場にはナポレオン軍から奪った875の大砲が飾られています。
ロシア連邦大統領府(元老院)
18世紀に建てられた宮殿で、かつてレーニンが居所としていました。現在はロシア連邦大統領がクレムリンにいるときには緑色の屋根の上に大統領旗が掲げられます。
十二使徒聖堂
1655~1656年に、ニコン総主教によって建築された純ロシア的な教会です。
大砲の皇帝
16世紀末、鋳造された口径890mm,重量40tの大砲。今まで一度も発砲されたことのないシンボル的なものです。
サボールナヤ広場
帝政時代には公式行事が行われた歴史的な広場。
イワン大帝の鐘楼・・・16世紀に建てられた高さ81mの楼。イワン雷帝のころは、モスクワにこれ以上の高い建物を建てる権利を誰にも与えませんでした。
鐘の皇帝
イワン・マトーリン、ミハイル父子によって1733~35年に作られました。高さ6m重さ200tの世界最大の鐘です。鋳造中に発生した火災を消し止めるため、水をかけてしまい、鐘の一部が欠け落ちてしまいました。そのため、残念ながらこの鐘の音を聞いた者はいません。
ウスペンスキー大聖堂(聖母昇天総主教座大聖堂)
1479年、イタリアのアリストーテリ・フィオラバンによって建てられました。壁と屋根にはイコン絵画(聖ゲオルギー像、三位一体像などが有名)で飾られ、1551年作で木工彫刻の傑作イワン雷帝の玉座、ナポレオン軍から奪い返した金と銀で作ったといわれる銀のシャンデリア、聖書の20の場面を金で描いた画などが見所です。
ブラゴヴェッシェンスキー聖堂(聖母受胎告知聖堂)
1484~89年、モスクワとプスコーフの名匠によって建てられました。16世紀に火災に見舞われましたが、イワン雷帝によって修復され、教会をとりまくイワン雷帝のポーチを増築しました。
アルハンゲルスキー聖堂
1505~08年にイタリア人アレヴィズ・ジュニアの設計によって建てられた大天使ミハイルを奉った石造りの教会です。貴族や歴代のツァーリの遺体安置所になっていて、イワン雷帝の棺もここに安置されています。15世紀のフェオファン・グレーク作といわれるイコン、大天使(アルハンゲル)ミハイルが有名です。
パトリアーシェ宮殿
17世紀に宗教改革を行ったロシア正教の総主教、ニコンによって建てられました。現在は、17世紀のロシアの工芸博物館となっています。
グラノヴィータヤ宮殿
1491年、イタリア人マルコ・ラフォーとピエトロ・ソラリによって建築された宮殿で、イワン雷帝やピョートル大帝が戦勝を祝う宴席を開きました。
大クレムリン宮殿
クレムリン南西部に位置し、1812年クレムリン宮殿が焼失したため、1838~49年にロシア人建築家チチャゴフ、ゲラシモフ、バカレフ、リヒテル、トンなどによって、同じ場所に大クレムリン宮殿が建てられました。19世紀のインテリアや絵画・彫刻などをふんだんに取り入れ、パリのルーブル宮殿に勝るとも劣らない豪華さを誇っていました。1934年の改装で、ソ連最高会議場(現ロシア国会議場)が建設されました。外国政府要人や国家元首との会見に用いられているため、一般公開されていません。
武器庫
16世紀に武器庫として建てられたが、1702年にピョートル大帝の勅令により博物館となりました。鎧や甲のコレクション、12~19世紀の金銀細工のコレクション、18~20世紀の宝石のコレクション、シルクやベルベットなどの織物のコレクション、外国の金銀細工のコレクション、王冠や王笏のコレクション、宮廷馬車のコレクションとよばれる7つのホールで構成されていて、たくさんの貴重な宝物が展示されています。
■ 赤の広場
ロシア語では、もともと「赤い」は「美しい」の意味をもちます。面積7300㎡の石畳の広場では、数多くの歴史的事件が繰り広げられてきました。
レーニン廟・・・暗赤色の花崗岩からできており、ソ連建国の父レーニンの遺体が安置されています。
聖ワシーリー寺院・・・独特のネギ坊主の様な塔を持つカラフルな寺院で、17世紀にイワン雷帝の命により建設されました。
グム百貨店・・・100年以上の歴史を持つ百貨店です。中は吹き抜けになっていて、3階まであり、最近では外国との合弁店やヨーロッパのブランド品が並ぶようになってきました。
■ ヴァラビョーフ丘(旧レーニン丘)
市内のパノラマが見渡せる唯一の展望台。眼下にはモスクワ川が流れ、いつも観光バスが集まり大変賑わっています。
■ ノヴォデヴィーチ修道院
16世紀にできた女子修道院。革命後、博物館になっていましたが、最近ロシア正教のミサも行われるようになってきました。チャイコフスキーは、ここの池で泳ぐ白鳥をみて「白鳥の湖」を書いたといわれています。
ここには、16~17世紀のロシア建築を代表する建物が集まり、なかでも1525年に建てられ、5つのドームを持つスモレンスキー聖堂は、修道院最大の建物です。また、墓地にはゴーゴリー、チェーコフ、マヤコフスキーなど大勢の各界の著名人が静かに眠っています。
■ トレチャコフ美術館(旧館)
ロシア絵画の収集では最大の美術館で、12世紀以降のロシア美術の名作が集められています。アンドレイ・ルブリョフの「聖三位一体」、レーピンの「イワン雷帝と息子」、スーリコフの「大貴族夫人モローゾヴァ」、ペローフの「ドストエフスキー」など5万点以上の作品が展示されています。
■ プーシキン美術館
1912年、ツヴェタエフ・モスクワ大学教授が教育目的のためにアレクサンドルⅢ世美術館を母体とし、開設した美術館。古代エジプトの装飾品から近代絵画まで2000点以上が展示されていますが、もともとが教育目的であったため、レプリカが主体です。ただし絵画は本物で、印象派の作品群は必見です。
■ トヴェーリ(旧ゴーリキー)通り
モスクワの銀座通り。約2キロの通りの中程にはモスクワ市役所があり、最近、ナイトクラブ、ヨーロッパのブランドショップなどもオープンしはじめました。
■ アルバート通り
以前は、歩行者天国で多くの観光客が集まり、道の両側にはいろいろな露店が出て賑わっていました。残念ながら現在は規制があり、前ほどの賑わいはありません。
■ その他主な博物館
チェーホフの家博物館。作家チェーホフが26歳から4年間住んだ家。
アンドレイ・ルブリョフ博物館。イコン画が多く展示されている。
トルストイ邸博物館。作家トルストイが使用した日用品が興味深い。
プーシキン博物館。時々プーシキンの詩の夕べが開かれる。 |