サンクトペテルブルク概要
北緯約60度、ネヴァ川といく筋もの運河のはしる「水の都」サンクトペテルブルクは、帝政ロシアの首都として、また大革命勃発の地として歴史的に有名ですが、今もなお人口450万余を擁するロシア第二の都市であり、行政、経済、学術文化の中心地となっています。「サンクト」(「聖なる」の意)ぬきで、単に「ペテルブルク」と呼ぶこともあります。
ピョートル一世(大帝)により1703年に建都。元々はフィン人漁民しか住まない沼地でしたが、近代ロシア国家の建設のためには海への出口と「西欧への窓」が不可欠と考えたピョートルは、大量の農奴を動員して、ここに新都市の建設を開始。厳しい気候や過重な労働で倒れる農奴は数知れず、そのため当地は「屍の上に築かれた都市」と呼ばれます。
1712年にはモスクワから当地に首都が移されます。以来、西欧各国から優秀な建築家を招いた結果、ロシアには珍しくヨーロッパ的雰囲気の漂う都になりました。当市の生みの親がピョートルなら、中興の祖は女帝エカテリーナ二世です。ピョートルが理想としたのはオランダ風、建築様式でいえば奇想にみちたバロック様式ですが、エカテリーナは一転、パリをモデルに優美なクラシック様式の街づくりを行いました。彼らの事業をひきつぎ、都市整備の仕上げをしたのは、19世紀前半のニコライ一世です。厳しい専制政治で評判の悪い君主ではありますが、当市建設にかけては相当の功績がありました。彼の性格を反映してか、イサク聖堂やエルミタージュ宮殿新館など、この時代の建物は豪奢な中にも独特の厳しい面立ちをしています。
約二世紀にわたりロシアの首都であった当市も、革命の翌年、1918年3月にその座を再びモスクワに譲りました。国境への近さから、ソビエト新政権が懸念を抱いたためといわれます。第二次大戦では900日もの間ドイツ軍に包囲され(1941〜1943年)、記録的な寒波もあって一般市民にも莫大な餓死者、病死者を出しました。砲撃や空爆により市街もなかば焼け野原になりましたが、戦後に復旧がなされ、美しい歴史都市としてよみがえっています。現在、市の中心部にある建築は、大半が18〜19世紀のものです。
複雑かつ苦難に満ちた歴史をたどった当市は、市の名前自体、何度も改称されています。1914年第一次大戦の勃発とともにドイツ風の「ペテルブルク」は、ロシア風に「ペトログラード」と改められました(どちらも意味は同じで、「ピョートル大帝の街」、「使徒ペテロの守護する街」、「石の街」といった意味が掛け合わされています)。革命を経て、1924年にレーニンが亡くなると「レニングラード」(レーニンの街)と改名。ソ連邦の解体前夜、1991年9月には、住民投票によって再びペテルブルクとなりました。
市内には文豪プーシキン、ドストエフスキー、ネクラーソフ、ゾシチェンコ、アフマートワ、ナボコフなどの旧居も保存されており、ロシア文学愛好家は必見。また、2000年5月に就任したプーチン大統領も当地の出身です。「北のベネチア」と称えられるように、市内には40以上の運河や河川が流れ、橋の数は340以上にのぼります。当地の代表的河川であるネヴァ川には美しい橋がいくつか架けられていますが、船を通すため、いずれもはね橋になっており、夏期には大体午前1時半から4時頃まで橋があがります。その光景はなかなかの見物ですが、橋の向こうへの交通は遮断されますのでご注意ください。
行政面からみると、サンクトペテルブルク市はモスクワ市同様、ロシア連邦「連邦構成主体」に指定されているため、州(日本の「県」にあたる)と同等の扱いです。
わが国との関係では、1874年(明治7年)に日本国公使館を設置。1908年(明治41年)には大使館に改称されましたが、ロシア革命後の1918年には引き揚げとなりました。1971年、日本国総領事館が開設され、本年35周年を迎えました。
サンクトペテルブルク市は1979年8月16日より、大阪市と姉妹自治体関係にあります。なお、市の外側一帯(市域は含まず)はレニングラード州が管轄していますが、同州は1994年11月4日より、京都府と姉妹自治体関係にあります。
北緯約60度、東経約30度に位置し、夏の約50日間が白夜。白夜開始は5月25・26日頃、日照時間最長は6月21・22日頃(18時間53分)、白夜終了は7月16・17日頃。
市はネヴァ川河口の湿地帯を干拓して建設されており、海洋性気候と大陸性気候の移行地帯に位置。多湿で年間を通じて曇天の日が多く、年間の晴天日は平均で約62日。
ペテルブルクの四季
春(5〜6月):当地の春は遅く、4月でも降雪や零下10度程の寒波は珍しくありません。5月初頭の連休頃(ロシアでもこの時期に連休があります)から新緑の季節となり、最高気温も20度を超えますが、寒暖の差が大きいので注意が必要です。6月の白夜期は一年で最も快適な時期で、涼風が吹き、からりと晴れた日が続きます。ただし夜がないため(午前2時頃に薄暗くなる程度)、生活のリズムが崩れ、体調不良を招くケースも時に見られます。
夏(7〜8月):白夜をすぎると短い夏がやってきます。7月には最高気温も30度前後に達しますが、冷房が恋しくなるような日はせいぜい2週間程度です。梅雨はありませんが、夏場には通り雨が多くなります。7月半ばともなれば、近郊の農村では早くも刈り入れ作業たけなわで、8月上旬には秋の気配が漂い始めます。
秋(8〜9月):8月後半から9月は冷涼ですが、零下にまで冷えることはそうありません。日本の晩秋から初冬の気候と似ています。
冬(10〜4月):10月初頭には初雪が舞い、長く厳しい冬が始まります。冬至が近づくと昼は極端に短くなり、10時頃に朝になり、午後4時にはもう夜です。さらに、連日の雪のため、太陽が顔を見せることは滅多にありません。最低気温は10月で零下7度、11月には同15度程度。厳寒期の12〜2月には零下25度、ときには30度まで冷えこみますので、外出の際には帽子・手袋・マフラーなどの着用、また長期滞在の場合は住居の窓をテープで目張りするなど、十分な防寒対策が不可欠です。市街では融雪剤もまかれており積雪はそれほどありませんが、足下がぬかるむため、防寒長靴等の用意が必要です。河川や運河は結氷しますので、水上観光はできません。一方、世界的に誉れの高い当地のオペラやバレエ、演劇等は冬季が本格的なシーズンとなっています。
(注)※当地の気候は年ごとの変動が大きくなっていますので、上記はあくまで目安です。
※四季の区切りは当館で便宜的に付したものです。
面積:約600㎢(郊外の諸都市を含む広域市全体では約1,400㎢。なお、隣接するレニングラード州は84,500㎢)
人口:458.4万人(モスクワに次ぎロシア第2位。なお、レニングラード州は166.9万人)
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